若冲と日本の自然観(科学・写生・アニメーション)

(English version is here.)

 

2020年11月20日、松葉舎をルーマニア日本合同学生会議(後援:日本・ルーマニア両大使館)に招待していただきました。そこで松葉舎主宰・江本伸悟が発表した内容の文字起こしです。塾生の佐藤世津子さんによる『松林図と余白の美学』の発表に引き続いて行われました。

 

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こんにちわ、江本伸悟です。改めまして、どうぞよろしくお願いいたします。さきほど佐藤世津子さんの方から、長谷川等伯の『松林図』を通じて、日本の美意識を象徴する「余白」という言葉についてご説明いただきました。きょう僕の方からは、伊藤若冲の絵画について、また彼の絵画の背後にひろがる日本の自然観について発表したいと思います。

 

伊藤若冲は江戸時代に活躍していた絵師の一人なのですが、近年、再び注目を浴びるようになりまして、今では日本を代表する絵師の一人に数えられています。まずは彼の代表作をいくつか見ていきましょう。

 

 

如何でしたでしょうか。佐藤さんにご紹介いただいた『松林図』との違いに驚かれたかたも多いのではないかと思います。『松林図』では何も描かれていない余白こそが画面の主役としてそこに現れていましたが、それと対照的に若冲の絵画では、隅々にまで細かく綿密に筆が入れられています。画面の全幅に万遍なく行きわたるエネルギーの密度が、若冲の魅力のひとつとなっています。

 

また、画面の全体がただ埋まっているだけではなく、そこに描かれているもの一つ一つの持っている個性がどれひとつ見逃されることなく、克明に描き出されています。例えばこちらの百犬図を見てみると、一匹一匹の犬の模様が類型化されることなく、それぞれ独自に描き分けられていますね。

 

 

あるいは、こちら蓮池遊魚図の左下に描かれた蓮の葉をみてみると、虫に食われた穴までもが省かれることなく丁寧に描きこまれています。一つ一つの存在を愛おしむように大切に描いていくというのが若冲の絵画に見られる特徴の一つです。

 

 

もうひとつ、若冲の絵画では動物や植物だけでなく、魚類や昆虫までもがモティーフとして、しかもメインモティーフとして取り上げられている点が大きな特徴になっています。

 

実は、若冲は絵師であると同時に熱心な仏教徒でもあったのですが、彼の信仰していた仏教の自然観、とりわけ「草木国土悉皆成仏」と呼ばれるところの自然観が、彼の描くものに大きな影響を与えていたと言われています[1]。草や木、そして国土を形成している土や石、その全てがみな悉く成仏できるという意味の言葉ですが、日本では人間や動物だけでなく、草や木といった植物、あるいは土や石といったものまでもが悟りを開いて、仏になれると考えられているわけですね。ふだん人の目に留まることのないどんなにちっぽけな存在にも仏性が宿されている。あらゆるものは仏様と同じように尊い存在であり、等しく価値を持っている。そうした日本の平等思想が、草木国土悉皆成仏というこの八文字の中に込められています。

 

こうした思想のもとで若冲は、ひごろ人の足元に這いつくばっている小さな昆虫たち、その虫に食われて穴だらけになった葉っぱ、子犬や鶏一匹一匹の模様、あるいは鶏の羽の一枚一枚、その一筋一筋もおろそかにすることなく、全てに全力を傾けるように彼の絵画を描いていきました。

 

 

そして、この草木国土悉皆成仏の自然観のさらに深層には、日本の縄文時代より受け継がれてきたアニミズム的な自然観が広がっています[2]。アニミズムというのは、この世界に存在しているありとあらゆるものが、霊を宿した生きた存在だとする考え方のことです。人間や動物、そして植物だけではなくて、土や石のようなものにまで霊が宿っていて、そこに命が宿っていると考える。だからこそ、それらはまた仏性を宿していて、成仏することができると、すんなり信じられるわけですね。

 

草から木から土から石まで、あらゆるものが生きているアニミズム的な自然のなかで、若冲は彼らのもっている生命を画布のうえに写し取っていきました。若冲の活躍した時代はちょうど中国から「写生」という概念が伝わってきたころでしたが、これは文字通りに読めば「生を写す」となる。つまり写生というのは、単にモティーフの表面的な形を写しとることではなくて、その対象の生きている様を写しとることをいいます。


ルーマニアのみなさんの中には、日本のアニメを通じて日本を好きになってくれた方が多いと聞きました。おそらく、日本のアニメが世界的な人気を誇っているのも、このアニミズムの世界観と無縁ではないのだと思います。なぜなら、アニミズムとアニメーションとはアニマ(魂)という語源を共有していますが、ものに宿っている霊、魂、命、そうしたものを画面の上に宿らせていく技術こそがアニメーションの真髄であり、それは若冲の写生の技術と同様、アニミズムや草木国土悉皆成仏といった、古来より日本に伝わる自然観を背景に培われたものだと考えられるからです[3]。

 

前半、松葉舎を紹介したおりには、日本の自然観に根ざした新しい科学を目指したいと話しました[4]。アニメの場合にはそれができているわけですね。僕は科学においても同じことができると信じています。ものを物質化するのではなく、その命に触れていく科学。例えば、これから橋口さんの紹介してくれる民藝の思想のなかに、その可能性がありはしないか。そうしたことに今、松葉舎では取り組んでいるところです。ご清聴ありがとうございました。

江本伸悟

[1] こうした説をいち早く唱えたのは美術史家の清水義明であり、おなじく美術史家の辻惟雄や、哲学者の梅原猛も同様のみかたをしている。若冲の絵画が仏教思想のもとに描かれているのは確かだが、とりわけ草木国土悉皆成仏の影響力をどこまで特筆すべきかは議論の盛んなところである。

[2] アニミズムや草木国土悉皆成仏を日本の自然観とする論者の代表として哲学者の梅原猛、それに批判的な論者の代表として仏教史家の末木文美士がいる。それぞれものを捉える枠組みが異なっていて、どちらかが一方的に正しいというわけでもない。前者については例えば『森の思想が人類を救う』『人類哲学序説』を、後者については『草木成仏の思想』を参照されたい。

[3] 自らのアニミズムを意識した上で作品に取り組んでいるのはジブリの宮崎駿・高畑勲両監督である。一方、無意識裡のアニミズムが反映されている作品として『鉄腕アトム』『ドラえもん』『ポケットモンスター』など。心なき道具ではなく、人とともに泣き、笑い、側にいてくれるもの・ロボット。目にはみえぬ「ものの気配」が姿かたちを得たもの・物の怪・モンスター。

[4] 日本の自然観という言葉を使ってはいるが、それを西洋と鋭く対立させるつもりはない。朝鮮半島、インド、中国、そして西洋と、海外からの影響を塗り重ねるなかで日本の文化も伝統も熟成されてきた。その厚みの中に科学を根付かせたいといったほどの意味である。